平岡大陽選手(湘南ベルマーレ)のVOICE

平岡大陽選手(湘南ベルマーレ)のVOICE
セレッソ大阪西U-15にて中学時代の選手生活を送った平岡大陽選手。セレッソ大阪U-18への昇格が叶わずも、大阪の強豪校である履正社高校に進学してプロ入りを果たす。その進路に至った背景や想いを伺いました。(所属クラブや経歴は更新日=2022年1月時点のものです)

プロフィール

湘南ベルマーレ 平岡大陽選手

経歴:長尾ウオーズフットボールクラブ→セレッソ大阪西U-15→履正社高校→湘南ベルマーレ

中学時代を振り返って

僕は中学時代、セレッソ大阪西U-15というJクラブの下部組織でプレーしていました。そこでサッカーをしていた経緯としては、小学生の頃にセレッソ大阪のスクールに通っていて、その流れでU-15のセレクションを受ける機会がありました。そこで運良く合格して入団しました。Jリーグのアカデミーは当然のことながらレベルが高く、特に関西中から優れた選手が集まってきていたチームにおいて、僕は本当に周りについていくのに必死で、正直いうと「サッカーを楽しむ」気持ちや「プロになれる」というような自信なんて全くなかったです。そんな状況でもあったのでユースへの昇格はできませんでした。

高校時代を振り返って

ユースへの昇格が叶わなかったので、地元の履正社高校に進学しました。履正社高校は、大阪の中でも強豪校というイメージがありました。ただ、強豪校に進めばなんとかなるというような気持ちは一切なく、中学で活躍できなかった分、高校では「もっと努力して這い上がってやる」という気持ちを持って3年間取り組みました。この気持ちを持ち続けて一生懸命取り組んだ3年間が無ければ、今の僕は絶対になかったと思います。レベルの高い環境を選ぶことも大事ではありますが、そこでどういう気持ちで頑張るかがもっと大事だなと思いました。

進路選びについて

ユースへの昇格を目指している中で、それが叶わなかったので高校での道を探しはじめました。中学時代はチームで試合には出ていたものの、本当に何も活躍できていなかったので、高校からのオファーなどはほとんどありませんでした。また、Jリーグのアカデミーにいたため、高校サッカーというものにそこまで意識がなかったので、自宅から通える距離で強豪校という理由で履正社高校を志望しました。自分から練習参加を申し込み合格し、入学するための受験をしました。

自宅から通える距離の地元の学校を選んだのは、漠然と「遠い学校での寮生活は大変そう」だと感じたからです。

平岡選手からのメッセージ

選択に後悔はないですが、今振り返って考えれば高校選びはもっと慎重に行っていてもよかったと思います。それは「自分がしっかり納得できる」進路を選ぶという意味です。SNSの普及などによって沢山の情報が簡単に入手できるので、自分のサッカースタイルや将来の目標を考えたうえで選んでもよかったなと。そうは言ったものの、「結局は自分次第」だということは確かです。学生時代は様々な誘惑がありますし、妥協するのも簡単です。でも、僕は毎日の練習で手を抜かずにやったということは胸を張って言えます。

不器用な僕ですが、全力で取り組むということだけは、ブレずに継続したからこそ今の自分があると思います。環境の言い訳せず、自分の強い気持ちを持って一生懸命頑張ってください。

著者プロフィール

FootLuckを運営する編集部です。日本のフットボールの価値を上げられるように記事を編集していきます。