松本昌也選手(ジュビロ磐田]のVOICE

松本昌也選手(ジュビロ磐田]のVOICE
大分県で育った松本昌也選手は小学校6年生のときに、プロになりたい一心で大分を飛び出し、JFAアカデミー福島で寮生活を送った。アンダー世代の日本代表にもコンスタントに選ばれてプロ入りした松本選手が、どんな想いで中学・高校時代を過ごしてきたかを振り返っていただきました。(所属クラブや経歴は更新日=2022年1月時点のものです)

プロフィール

ジュビロ磐田 松本昌也選手

経歴→和田SC→FC中津→JFAアカデミー福島→大分トリニータ→ジュビロ磐田

中学時代を振り返って

僕はもともと大分県で育ち、小学6年生の時に日本サッカー協会(JFA)が始めた、中高6年間で一貫教育を行う「JFAアカデミー福島」がある事を知り、純粋にサッカーでプロになりたい一心で大分を飛び出し、セレクションを受け合格することができました。そして親元を離れ、福島県でサッカー中心の寮生活を送り始めました。

当時のJFAアカデミーは、僕が2期生だったこともあり話題性はありながらも、Jリーグのアカデミーでも高校サッカーでもない新しいものだったので、中身をあまり知らない人ばかりだったと思います。

JFAアカデミーでは、サッカーで大切なな基礎技術(止める・蹴る・考えて走る・見る)などの基礎を徹底的に磨き、選手としての土台を作れました。また、寮生活だったので自分の身の回りの事はなんでも行い、一緒に生活を送る仲間との協調性など、人として大切な事を多く学ぶことができました。

高校時代を振り返って

高校生になると基礎技術の向上はもちろんのこと、それに加えて戦術やフィジカルトレーニングも増えました。競争力がかなり高い環境で、試合に出るために仲間と切磋琢磨する日々でした。みんなが純粋に「サッカーが上手くなりたい」という気持ちを持っていたと思います。

そういったレベルの高い環境で切磋琢磨できたおかげもあり、運よく世代別の日本代表に選ばれるようになりました。当時は「U-17W杯」や「U-19アジア最終予選」などを経験し、自分に足りない部分を知ったと同時に、世界との差を肌で感じました。日本はレベルが高いと言われていますが、世界にはすごい選手が数えきれないほどいるなと思いました。その経験を得てから、より高い意識で毎日トレーニングに励む日々でした。

進路選びについて

僕は小学6年生で進路を自分で決断しました。でも正直に言うと、その時は深く考えていませんでした。中学生になっても、しっかり考えて道を選ぶことはかなり難しいことなんじゃないかと思っています。そんな中でも自分で決めた理由は、「プロサッカー選手になる」という夢をイメージして迷わず挑戦する道を選べば、その夢に近づけると思ったため決断しました。

「どの進路を選べば正解」なんて誰にも分からないと思います。

松本選手からのメッセージ

多くの人が同じようなことを言うと思いますが、大切なのは将来なりたい自分(夢)をイメージして、そのために「自分に必要な事は何か」考えていくことだと思っています。進路を選び、本気で努力し続ける事が一番大切だと僕は思います。かっこいいことは何もないです。自分の夢が「どれだけ本気か」で自分の行動が変わると思います。

著者プロフィール

FootLuckを運営する編集部です。日本のフットボールの価値を上げられるように記事を編集していきます。